1983年の杉山清貴&オメガトライブの誕生に伴いファンクラブ「FOOT」が発足されました。1986年、杉山清貴がソロとなり、オメガトライブはカルロス・トシキ&オメガトライブとして引き継がれることとなり、ファンクラブに関しては「FOOT」がこの両者を継続していく形式となりました。そして1991年、オメガトライブが突然の解散を発表し、ファンクラブ「FOOT」はおよそ8年に渡る活動に幕を下ろすこととなりました。そのファンクラブの最終号の会報では、「FOOT」の歴史について杉山清貴の思いが綴られています。
「omegatribe の rekishi」
皆様、おつかれさまでした。
24時間、よ~く闘えましたか?
SHINJI、TOSHI、よ~く眠れましたか?
君達は5年も永くomegatribeの名前を生かしてくれて、本当に、よくがんばりました。
今、FOOTの会員の方で“FOOT”の名前の由来を御存知な方はいますか?
FAMILY OF OMEGA TRIBE、略して、F.O.O.T。
名づけ親は、初代omegaのDrumer、広石恵一でした。
なんて、別にそんな事どーでもいいのかなあ?
時代は流れているわけで、なあ、新旧両omegatribeのみなさん、いやな事もあったと思うけど、楽しい思い出も作れたろ?
それでいいじゃないね!
FOOTに関わった、おねエちゃんたちも、ごくろうさま!!
(1991年ファンクラブ「FOOT」会報vol.40より)
カルロス・トシキはオメガトライブ解散について、最終号のひとつ前の会報で以下のように綴っています。
オメガトライブかいさんについて、いいたいことはたくさんありますけど、かんたんにじぶんのきもちをせつめいしたいとおもいます。
こういうけっかになってしまって、今くやしがっているのはファンのみなさんだけではなくて、ぼくじしんもすごくくやしいです。
オメガトライブをあいしつづけてきて5年目をむかえようとしているけどオメガをつうじてファンのみなさんに愛され、SHINJI、TOSHI、JOEY、KUROKAWAそしてPAPAYAのみなさんにも愛されてきて、オメガはぼくの日本でのたったの一つのかぞくです。
そのかぞくのために5年間、じぶんのいのちのようにた(だ)いじにしてきて、まもってきたつもりです。
そしてこんかいのかいさんも、これもオメガトライブをまもるためにぼくたちがえらんだけっかです。
これからはSHINJI、TOSHI、JOEYそしてぼくは、それぞれちがったかたちで、あらたにがんばらなくちゃいけいです(いけないです)、そしていつか、一人一人のもっているものがせけんにそしてこのぎょうかいにみとめられたら、またきっとみなさんが5年間あいしつづけてきたオメガトライブがじつげんできるとしんじています。
このままオメガをつづけると、えいえんにオメガトライブがきえていくとおもいます。
そしてちがったかたちでみなさんをうらぎることになるでしょう。
ほんとうにもうしわけありません!
5年間どうもありがと!
これからもSHINJI、TOSHI、JOEY、CARLOSをよろしくおねがいします。
I LOVE you ALways!
(1991年ファンクラブ「FOOT」会報vol.39より)
※この後、杉山清貴のファンクラブ「COCONUT GUYS」が発足し、1995年に現在の「Island afternoon」に引き継がれました。