2001年7月30日、プロボディーボーダーの四方田富士子は癌のため帰らぬ人となりました。
親交の深かった杉山清貴は後に「富士子さんの出す“波動”に心を癒された」と語っています。
また、四方田富士子が健在だった頃のハワイにまつわるエピソードを雑誌のコラムに綴っています。
波乗りを愛する人にとってのハワイへの想いが伝わってきます。
ハワイ好きのそれぞれのタイプ
ハワイの生んだ天才サーファー、マーク・フ―が昨年の12月カリフォルニアの海で亡くなった。
彼はサーフ中に自分の板が頭に直撃し、気を失ったままの死である。
その間約1時間ほど、彼は意識のないまま海を漂っていたのだ。
マーク・フーは、ハワイのサーフ番組“H3O”のホストとしても人気があり、それだけに94年の暮れのハワイは彼を愛する人たちの悲しみでいっぱいだった。
今期のノースショアは連日のようにビッグ・ウェイブが押し寄せ、8フィートから10フィート。
ワイメア・ベイに至っては時には15フィートから20フィートというまさにモンスター・ウェイブの日もあったという。
その波に向けて世界中からソウル・サーファーたちが集まり、一時的にハレイワあたりは大渋滞になったほどである。
ハワイにいて、日本からの観光客の姿を見ていると、ハワイそのものが好きなタイプと、ショッピングに命をかけているタイプ、それとサーフィンをするためだけにやって来る人たち、この3種類に分けられる。
なかでもタイプNO.3に入る、サーフィンをするためだけにやって来る人の中には僕の友人も何人かいる。
彼らはワイキキ方面、いわゆる普通の人々が代表的に訪れる地域をタウンと呼び、自分たちはノースショアに滞在する。
しかも様々なつてを用いて格安チケットを購入し、その荷物の大半は何本ものサーフ・ボードだ。
そして、ボロくてもいいから目をさますと同時に波に乗れるようにかならずオーシャン・フロントに宿泊し、日本に住んでいる時よりも、チープに過ごす。ハワイというところは目的に応じてどんな生活でもできる。
「誰がなんと言おうとワイキキがいいんだ」という人はそれなりの生活パターンで短期、長期暮らせるし、「何を言っているんだ!ワイキキなんてうるさいだけで日本にいるのと変わらない」という人にはこちらがございます、というふうに、あんな小さな島の中でこうも多様に受け入れる場所があるというのもすごいことである。
カラカウア通りをコンバーチブルの車で走ることに喜びを感じる人もいれば、いったい何処へ行けばこんな車貸してもらえるのかと思うボロボロの車で、今日はハレイワ、明日はパイプ・ラインと、ただただ、いい波を求めることに喜びを感じる人もいる。
日本にいる時にはさほど生活の違いを感じない2人も、ハワイに来る目的によってこちらでの生活パターンに大きな開きが出てくる。
僕の友人で千葉でサーフ・ショップをもつ夫婦がいる。
彼らは冬のノースで波乗りをするために毎年2~3ヵ月サンセットへやって来る。
何年も通い続けながら知り合いを増やし、少しでも海のそばへ家を借りる。
しかし、店を持っている以上そんなにしょっちゅう日本をあけられない。
そこで日本を離れる1日前まで2人で忙しく働きまわり、ギリギリまで仕事の処理に追われる。
まあ、それは当然のこととしても、彼らにとって冬のハワイはとても大切なものであり、そこで出会う波には毎年違った思い出もあるだろう。
千葉でサーフ・ショップを営み、サーフ・ポイントまで車で2分、波があれば毎日サーフできる場所に住んでいる。
波乗りに縁の無い人から見れば「日本にいてもそんな生活してるんだったら、わざわざ2カ月もハワイにいかなくてもいいのに・・・」と思ってしまうだろう。
でも人間ていうのは自分が好きなことには、わざわざという言葉は無いのである。
それは生きてゆくうえで、とても大事な物だと思う。だから皆も、何でわざわざハワイまで・・・。
と思われる何かをハワイでみつけてください。
(1995年「アロハエクスプレスNo.30・杉山清貴の楽園倶楽部vol.3“」より)