日本経済新聞「こころの玉手箱」 音楽家:杉山清貴vol.03

1995年、僕はハワイで暮らしていた。
早朝の海岸を歩いていた時、ある人を思い出した。
ウルトラマンで知られる円谷プロダクション第3代社長の円谷皐(のぼる)さんで、同年6月に60歳で死去。
振り返ると切なくなって、亡くなった人のために初めて曲をつくった。
「夜明け前」という歌だ。

歌詞はこう。
「あなたが見てた夢は今も生きつづけて この海の向こうの子供達にも必ず届いている」「愛しあう事のすばらしさを語ってた 瞳の奥で 信じ合う事の美しさを語ってた どんな時代でも」。
皐さんはドリーマーだった。

初めてお会いしたのが94年だった。
僕がよく行く都内のすし店で皐さんの長男、一夫さんとたまたま一緒になり話したところ「杉山さんの曲を聴いている」と言う。
僕も大好きなウルトラマンへの愛を熱弁し、一夫さんが「それならば」と皐さんを紹介してくれた。

そして僕のラジオ番組に皐さんが出演してくれた。
少し後に食事にも行った。
顔を合わせて話したのは、この2回だけ。
なのに心と心がぴったりとハモる感覚があり、僕は彼を大切な人だと思うようになった。

「子供にはニコニコしてほしいよなあ」と何度も言った。
ウルトラマンの生みの親の父・英二氏と演出家の兄・一氏が相次いで他界し、73年、38歳の若さで円谷プロ社長に就任。
以降の自身が関わったシリーズを挙げながら「ただの怪獣映画にはしたくない。ウルトラマンを子供たちにもっと身近な存在になるようにしたい」と熱く語っていた。

その表れが自ら制作を総指揮した「ウルトラマンキッズ」だろう。
ヒーローや怪獣を2頭身にデフォルメした愛嬌(あいきょう)あるキャラクターを考案。
80年代~90年代にテレビ放送もされた。

「面白い作品にするのは当たり前だ。子供にどんなメッセージを伝えられるかが勝負なんだ」。ますます燃えていたが、残念ながら志半ばで逝ってしまった。

皐さんは僕のためウルトラマンをつくってくれた。
ハワイの平和を守る「ウルトラマン・キヨタカ」。
フィギュアは自宅にある。
ヒーローを見るたび、あのキラキラした瞳を思い出す。


2016年10月26日 日本経済新聞「こころの玉手箱」より



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