「最近、波乗りで恐い思いをしていないなあ」などとうそぶいていた矢先、大自然はやってくれました。
2月16日の早朝、ニュージーランドからオアフのサウスショアを目指して波が届いたんです。

しかもその日はノースショアにも北東のウネリが来ていたということで、滅多にない“オアフ全島に波あり”状況。

そのうち1日の状態はといえば、サンセット、パイプライン8~12ft、マカハ、アラモアナ、ワイキキ4~6ft、ダイヤモンドヘッド6~8ft、サンディ・ビーチ、マカプー3~4ft、たまに6ft、というまさにサーフ・パラダイス。

おかげで私も、念願のスリリングな波乗りを堪能させていただきました。
変な流れに入り込んで身動きがとれなくなったり、気持ちよく突っ込んでいったら目の前に岩の集団が現れたり、シンプルに真っ逆さまに落ちたりと、ホント久し振りの洗礼って感じでした。


このお騒がせ波騒動も4、5日過ぎたころには落ち着きをみせ、誰もが満足な放心状態に浸っていた20日の夜、とても落ち込むニュースが島を覆い尽くしました。

カラパナのヴォーカル、マッキーが死んだという知らせでした。

カラパナの顔であり、優秀なソングライターでもある彼の死は、ハワイのミュージック・シーンにとって痛手であると、新聞のトップにも書かれてありました。


僕も同じミュージシャンとして胸痛むものであります。
カラパナのメンバーと親しくさせてもらってはいても、ヴォーカルのマッキーと話をしたことはありませんでした。

ライブのリハーサルや本番の日も、彼とは挨拶したり笑ったりする程度だったと思います。
とてもシャイな人だったという印象だけが僕には残っています。


カラパナといえば僕も思いっきり洗礼を受けました。
それまで聴いたことのないメロディーの運びに驚き、そしてそのほとんどの曲を彼が手掛けていました。

「ハーツ」に代表される明るいアップ・ビートの曲と、しっとりとしたメロウな「ジュリエット」や「ムーン・アンド・ザ・スターズ」などをきっちり書き分ける素晴らしいメロディー・メーカーでした。

そしてもちろんヴォーカリストとしても非常に魅力がありました。
押しつけがましくない、心地良くハスキーな声。
甘ったるく癖の強い歌。

マッキーのあの声とメロディーが戻らない今、カラパナも戻らないでしょうか。
こんなことはメンバーに聞ける話でもありません。

ただこんな予測をしてしまうのは、「やはりマッキーの色だった」と、彼のソロ・アルバムを今聴いて感じたからでしょう。

“IZ”ことイズラエル・カマカヴィヴァオレに続き、ハワイのトップ・ミュージシャンがまたひとり、海へ還りました。
サーフ・ミュージックの覇者が、季節外れの波と一緒に。
アロハ。



アロハエクスプレスNO.49(1999年5月15日発行)「杉山清貴の楽園倶楽部」より