プロの作曲家、作詞家を中心とするブレーンを持つバンドとしてデビューした「杉山清貴&オメガトライブ」。そのブレーンの中心として活躍したのが林哲司です。彼はパフォーマーとしてのメンバーではありませんでしたが、メイン・ソングライターであるだけでなく、グループにとってプラス・ワン的な意識で関わっていたのです。「ビートルズ」にとってのジョージ・マーティンのようなポジションかもしれません。その作曲家、アレンジャーの枠を超えた仕事はサウンド・アドバイザーやスーパーバイザーというクレジットにも表れています。そして「オメガトライブ」のフロント・マンであった杉山清貴。言うまでもなく、彼の強力なヴォーカルなしでは「オメガトライブ」の楽曲は成立しません。彼のヴォーカルこそが「オメガトライブ」のサウンドの方向づけに関与する最大の要素だったと言えます。


80年代の音楽シーンへ斬りこんだ「杉山清貴&オメガトライブ」の方法論は最初から意図的なものでした。日本の音楽マーケットを意識したドメスティックな曲調、メンバーの写真ではなく、夏やリゾートを連想させるイメージ・フォトを使ったレコード・ジャケットやポスター、そしてソフト・スーツを中心としたメンバーの衣装等が、豊かだった80年代、ワン・ランク上の風景に憧れるリスナーの気持ちを捉えたのです。そしてそれはプロデューサーの意志による見事な戦略だったのです。


杉山清貴:「アマチュア時代から「真夏のドア」をはじめとする林さんの曲はよく聴いていて、大好きだったんです。洋楽を意識したメロディとアレンジにはのめり込んでいましたね。」

林哲司:「僕が杉山君の存在を知ったのは、プロデューサーから「きゅうてぃぱんちょす」というバンドのデモテープを聴かせてもらった時だった。ジャーニー風のかなりロックっぽい音だったのでその路線で「海風通信」や「A.D.1959」を書いたんだけど、もう少しドメスティックなサウンドを求められた。そこで方向修正してつくったのが「SUMMER SUSPICION」なんだ。初めて会ったのは、たしかレコード会社の会議室だった。でも杉山君一人だけだったよね?。」

杉山清貴:「デビューにあたってプロデューサーは杉山清貴一人で売りに出すことを考えていたようなんですが、僕はバンドでやりたいという自分の意志を貫きました。」

林哲司:「プロでデビューする時によくある話だよね。「オメガトライブ」と同期ではどんなバンドがデビューしたっけ?。」

杉山清貴:「「チェッカーズ」が同期でした。デビュー当時はいつも「彼らは衣装があってすごいなぁ。」なんて思っていました。オメガトライブは全員自前の服装だったので・・・(笑)。プロデューサーはルックスより音で勝負するつもりだったんでしょうね。」

林哲司:「それはレコード・ジャケットにも表れていたよね。メンバーの写真ではなく夏やリゾートを思わせるイメージ・フォトを使っていたからね。当時は洋楽のAORにもそういう傾向があってレコード・ジャケットの戦略としては非常に時代とマッチしていたと思うよ。」

杉山清貴:「そうですね。これはシングル・アルバムすべてに一貫して採られた手法でしたから。それから、スーツを着るようになったのは「River’s Island」の頃だったかな。この当時は普段着にもスーツを着ていましたからね(笑)。スーツの腕をまくるのがある種のファッションにもなった。」

林哲司:「80年代はとにかくバブルな時代だったから「カフェバー」、「海」、「ビストロ」といった雰囲気でシャレ者を刺激する戦略だったんだよ。」

杉山清貴:「ところが、当時オメガトライブのメンバーはそういったことを何も聞かされていなかったので結構ギャップに悩んでいたんですよ。戦略をしっかり聞かされていたら、もっと成り切って演じていたかもしれない。そうしたらあと2年ぐらいは続いていたかな(笑)。」




杉山清貴のソングライターとしての資質は林哲司の楽曲を歌ったオメガトライブ時代に磨かれたといってよいでしょう。彼は林哲司の曲のエッセンスを吸収しながらオリジナリティを確立していったのです。


杉山清貴:「林さんの曲はアマチュア時代から聴いていて、「こういう曲が作れたらなあ」といつも思っていたんです。そこへ自分たちの曲として続々と手に入ることになったものですから、すぐさま勉強の対象として捉えるようにしました。1stアルバムの「AQUA CITY」には、「きゅうてぃぱんちょす」時代の曲も入っているんですが、林さんの曲と比べればクオリティの差がありすぎてかなりつらいものがあります。」

林哲司:「メンバーによるオリジナル曲を選定するのもプロデューサーだったよね。」

杉山清貴:「僕たちが提出した曲はプロデューサーの厳しい審査を通過しなければならなかったので、大変な競争率でした。「オメガトライブ」での2年半はソング・ライティングの修行の場でしたね(笑)。」

林哲司:「僕は、難しい曲でも杉山君なら歌えるという確信のもとに作っていた。だから歌入れの時はプロデューサーにまかせていて、僕は殆ど参加していない。」

杉山清貴:「その歌入れが大変な苦痛で・・・(笑)。プロデューサーは感情移入の激しい人だったので僕は歌詞の一語一句まで歌い方を指示されていました。だからレコーディングは自分を押し殺す作業でしたね。」

林哲司:「僕も感情の人間だから、プロデューサーと見解が違ったりするととてもその現場には居られないだろうなぁ、それに杉山君やオメガトライブのメンバーたちと接する時、作曲家の立場で関わるのと同じミュージシャンの立場で関わるのでは視点が変わってくるから、一方で曲を提供しながらもプロデューサーほど割り切れないものがあるんだよ。」

杉山清貴:「そうは言っても、いやだった歌入れのおかげでヴォーカリストとしてのテクニックはついたと思います。しかし、2年半でアルバム5枚というのはかなりのハイペースでしたね。」

林哲司:「僕もバンドもそれによって確かに消耗したけれど、逆に、だからこそそれだけエネルギーを集中できたんだよ。2年半という活動期間についてはどう思う?。」

杉山清貴:「オメガトライブのメンバーはアマチュアだった「きゅうてぃぱんちょす」の頃からずいぶん長い間一緒にやっているんです。だからバンドの寿命としてはこんなものじゃないかなと思います。たまたま、バンド活動の後期がプロだったというだけで・・・。」

林哲司:「僕がギャップを感じたのはファンの集いに参加した時だった。作品の作り手としてはシャレ者を刺激するつもりだったが、実際に集まっているのは、アイドルを追いかけまわすような普通の女の子ばかりだった。オメガトライブの在り方としての現実を突きつけられたようなものだった。」

杉山清貴:「ツアーの移動その合間にテレビ出演そしてレコーディングという具合で本当にタイトなスケジュールでした。いろいろ不満はありましたけど、ライブではメンバー全員楽しんでましたね。カバー曲を演ったり、いきなり曲のアレンジを変えちゃったりして・・・だってステージで演奏を始めてしまえば、だれも止めに入ることはできないですから(笑)。ツアーの途中でいきなり新曲が割り込むこともよくありましたが平気でした。オメガトライブのメンバーは曲を覚えるのが早いんですよ(笑)。」

林哲司:「メンバーは皆、仲良かったんだよね。」

杉山清貴:「そうです。メンバー間の不和は全くありませんでした。解散の提案もみんなで話し合って決めたんです。当時バンドは絶頂期に入っていてましたけど、人気なんていつまでも続くわけじゃないので、勢いがあるうちに次のステップへ移って苦労しようと考えたんです。そうしなければこの世界で生き残って行くための実力をつけることができない。高島信二と西原俊次は「オメガトライブ」で続けたかったようですが、僕も含めて他の4人のメンバーがやめる方向で考えていたので多数決で決定です(笑)。」

林哲司:「それは初めて聞いた話だよ。それで高島君と西原君は「1986オメガトライブ」を始めたんだね。杉山君も、もうソロ活動へのレールが敷かれていたのかと思っていた。」

杉山清貴:「実は何も予定など無かったんです。またメンバー捜して、曲作ってライブハウスから始めようかと・・・。」

林哲司:「そういえば、いよいよ解散秒読みという時期に「杉山説得の夜。」

というのがあって・・・(笑)。僕もこのグループにはずいぶん愛着があったので、杉山君を説得して、5枚目のアルバム「FIRST FINALE」を作ったんだ。アルバムタイトルも僕がつけたんだよ。」

杉山清貴:「確かにあの頃は他にも「説得の夜」は多かったですよ(笑)。」

林哲司:「そして、僕の中での「オメガトライブ」はここで完結した。だから、その後のプロジェクトへの参加はお断りしました。オメガトライブの初期は曲作りにもレコーディングにも良い意味でのハプニングが多くてそれだけ楽しめたんだけど、後半になると何もかもが計算づくめになってきた。プロデューサーが要求するブレイクの仕方や16のクイを多用しすぎたり、自分でもかなり食傷気味になってしまったんだ。このあたりも僕がピリオドを打った理由かもしれない。それに「オメガトライブというアーティストに依存する作曲家」という状況は避けたかったので、他でヒット曲を出さなければという使命感と勢いを持っていたいと思う。」




それぞれの理由から「杉山清貴&オメガトライブ」としての活動にピリオドを打った2人に共通するのは「完結」という言葉でした。そう、「オメガトライブ」は確かに解散したのであって、ソロ活動を開始する杉山清貴が脱退したのではありません。しかし、杉山清貴よりも先に元杉山オメガのメンバーである高島信二と西原俊次による「1986オメガトライブ」が始動します。


杉山清貴:「「さよならのオーシャン」を苦しみながら書いていた時でした。プロデューサーから出来上がったばかりの「君は1000%」を聴かされて焦ったのを覚えています。煽られてるなあって思いました(笑)。気合を入れてサビを何パターンも書いて悩んだのは後にも先にもあの曲だけです(笑)。」

林哲司:「なんだか自分を研究して作られた音なので妙な気分だったな。」

杉山清貴:「「1986オメガトライブ」の始動は予期せぬ出来事でしたが、逆に自分がオメガ・サウンドと違うところでオリジナリティを確立するためのきっかけになりました。」

林哲司:「思うに「杉山清貴&オメガトライブ」というグループ名はプロデューサーが企てた偉大なプランニングにハマったとも考えられる。」


今の自分を聴かせたい「アーティストの気持ち」と過去の曲を期待する「リスナーの気持ち」を両立させるのは難しいです。若い頃は誰もがどうしても現在進行形の自分にこだわるものですが、年齢を重ねると昔の曲を平然と演れるようになるそうです。オーディエンスの求めるパフォーマーとしての自分を見つめれば、全て自分が通過した軌跡として捉えることができるからです。


林哲司:「新作はいつも聴かせてもらっているよ。オメガトライブ時代の「NEVER ENDING SUMMER」や「ALONE AGAIN」をリメイクしていたけど、どんな心境で?。」

杉山清貴:「当時の自分はまだ若すぎて、実はオメガトライブの楽曲の詩の世界を全く理解できてなかったんですよ。ところが、年齢を重ねると詩の一言一言が見えてきたんです。」

林哲司:「それはヴォーカリストとしての成長でもあるんだよ。」

杉山清貴:「だから今の自分がもう一度歌えば、もっと良いものが出来るはずです。それから、自分のアレンジはよく変更しますが、オメガトライブ時代のヒット曲はなるべくアレンジを変えないようにしています。リスナーの心に残っているフレーズは壊さないほうが良いと思うんです。僕は、その時代その時代に見られるアルバムの色の変化、つまり表現者としての自分の意識の変化を楽しむのが好きなんです。どのアルバムもそれぞれ良い特徴があるのですが、その中で「ANOTHER SUMMER」が完璧に近いアルバムだと思います。曲としては、やはり「君のハートはマリンブルー」が別格です。デモテープを初めて聴いた時、鳥肌が立ったのを覚えていますよ。」

林哲司:「作り手としてはやはり「君のハートはマリンブルー」です。自分がクリエイターとして「オメガトライブ」というグループを通して自分の音楽性を大衆へどう投げかけるか、オメガトライブのキャラクターや時代性をトータルに考えて、ひとつの答えが見えた瞬間だった。アルバムでは「ANOTHER SUMMER」かな。自分の曲とメンバーの曲にあまり違和感がないし、夏をイメージしたトータル・アルバムとしての完成度も高い。」


僅か2年半という短い活動期間に7枚のシングルと5枚のアルバムを作り上げた「杉山清貴&オメガトライブ」、ソングライターの林哲司とヴォーカリストの杉山清貴が選んだフェイバリット曲、フェイバリット・アルバムは一致していました、必然的に・・・



「Ever Lasting Summer」(2002年3月6日発売)より



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