日本経済新聞「こころの玉手箱」 音楽家:杉山清貴vol.01

ふるさとが僕という人間のほとんどをつくった。
生まれてから大人になるまで暮らした海岸近くの街、横浜市磯子区磯子。
思い出すのは人のにぎやかさだ。
母が三味線と日本舞踊の先生で、実家の稽古場はお弟子さんが朝から晩まで出入りしていた。
警察官だった父も同僚や部下を家に上げて酒を飲むのが好きだったから、家ではいつも誰かの陽気な声が響いていた。

40~50年前は、あの街でずっと暮らしている人が多くて、住人のみんなが顔見知り。
家の近くに全長100メートルほどの商店街「浜マーケット」があった。
なかの店にお使いの買い物に行くたび、店の人に「おう!」と声をかけられて世間話をした。
信号を無視して横断歩道を渡ろうとすると、近所の大人に「ダメよ!」と首根っこをつかまれて叱られた。
何をするにも人と接する環境で生きた僕は、人間が大好きになった。

嗜好の面でも影響は強い。
年末になるとマーケット内の八百屋に手伝いに行った。
お昼休みは商店街の食堂で焼きそばをよく注文したが、店のおばちゃんがご飯も付けてくれるのが常で、僕は焼きそばをおかずに米を食べた。
だから僕は今でも焼きそばとご飯をセットで食べる。
そういう食習慣とか生活習慣の起点も大体があの街に行き着く。

中学は区内の少し離れた公立校に、高校は横須賀市の私立高に進学した。
そこでも良い触れ合いがあった。
中学2年の時の文化祭でビートルズのコピーバンドで演奏を披露。
それを見ていた英語教師が「俺はおまえに音楽をやることを勧める」と言った。
不真面目だった僕の頭をはたいてばっかりの怖い先生だったから驚いて、心に残った。

高校3年時の進路選択の際、やりたいことがないから芸大に入って絵を描こうと漠然と決めた。
予備校に行くが、やる気は出ない。
授業をサボり、家や公園でギターを弾いて歌っていた。
予備校の先生はそれを叱りもせず「音楽の道に進め。やりたいことをやるのが一番だ」と笑って言った。

僕は音楽が好きだが、仕事にしようと考えたことはない。
だけど周りの大人が背中を押してくれて、自分の潜在意識を確認してミュージシャンを志すようになった。
普通なら反対されそうだが、両親も磯子の人も関わった人たちがみんな応援してくれた。
幸せな少年時代を過ごしたなと思う。



2016年10月24日 日本経済新聞「こころの玉手箱」より


vol.02「バングラデシュ難民救済コンサート」に続く